
記憶の味〜金澤流麺物語 第195回
記憶に残る味。
忘れられない味。
いつかまた食べたい味。
みなさんのそんな『記憶の味』はどんな食べ物でどんな味ですか?
例えば幼い頃に家族で食べた食事は味だけじゃなくて、自分が家族の温もりの中で満たされた気持の上に、味を加味して覚えてたりするのではないでしょうか?
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僕が高校を卒業するまで暮らした京都の一乗寺。
少年野球の仲間達と通った銭湯や、みんなでたむろしたゲームセンター。ラグビー部の仲間と通った中華料理屋、寄り道して買い食いしたハムカツ。
たまたまばったり会った別々の高校に進んだ女の子の同級生とのドギマギした会話。
そんな記憶が今でも鮮やかな輪郭を伴って浮かび上がりますが、その記憶の中にひっそりと小さなお好み焼き屋があります。
そのお好み焼き屋は幼い頃に親に手を引かれて通った店でした。
共働きで忙しかった両親。
よそのお家よりも遅い晩御飯。
今思えば、母親もご飯を作る気力がない日もあったのでしょうね。
すっかり夜も更けた時間にそのお好み焼き屋に通いました。
正直なところ、味は全く覚えてません。
でもそのお好み焼き屋に通うことはとても楽しかったし、いつもうきうきして出掛けてました。
思い出すのは、食べ頃が近づくとお好み焼きをひっくり返しに来てくれるおばちゃんの手つきや、ソースが鉄板の上で焦げて行く時に発する音です。
僕にとってはその『お好み焼き屋にいる』という事全部が『記憶の味』になっています。
幼い日々の幸せな記憶のそばに、いつもそのお好み焼き屋がありました。
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今年の春。
20年ぶりに一乗寺を訪れてみました。
活気のあった商店街は、どこかひっそりとした住宅地然とした雰囲気になっていました。
僕の生まれた家はアパートに。
僕が一人暮らしをしていた家は、空き地に。
友達の実家の花屋は閉店。
少年野球の仲間達と通った銭湯は駐車場に。
そしてお好み焼き屋はアパートになっていました。
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幼い頃、広く感じた道路はとても狭く。
通学が大変だと感じた小学校と中学校はすぐ近所でした。
久しぶりに訪れた一乗寺は、なんだかどこかよそよそしくて、まるで幼い頃の親友とお互いに変わり果てた姿で再会して、懐かしくも戸惑いながら話しているような気持ちになりました。
それでも『記憶の味』がそこにあった事は僕にとって永遠です、それは僕の中でずっと生き続けます。
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僕の石川県でのらーめんが『新しい』とか『食べた事ない』とか色んな感想をいただきますが、今親に手を引かれて食べにきてくれてる子供達にとっては『新しく』もなんともなく、それが幼い頃の記憶になっていきます。
そしていつかその子が大人になって、親に感謝する日が来た時に、「らーめん南、行ったなぁ」って思ってもらえる店になりたいです。
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湘南でもずっとそう思って頑張って来ましたが、またこの石川県で一から出直しです!
先日も「もう晩御飯の準備を始めてたのに、この子がどうしてもらーめん南に行きたいって聞かないので・・・」なんて言って来てくれた親子がいました。
ありがとうね。
精一杯作るからね。
こんな日が長く続くように毎日頑張りたいな、なんて思います。
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明日もあなたが優しくありますように。
明日もあなたがあなたらしくありますように。
LOVE & BEER!
そして
RAMEN & ROLL!!
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