
ソラミチ〜金澤流麺物語 第160回
石川県に引越ししてきて9ヶ月が過ぎた。
僕はまだ開店して一ヶ月の店に毎日立っている。
時々不思議な気持ちになる事がある。
あの怒涛の15年間が、息の詰まるような湘南での15年間が、遠い昔の様な気がしてくる。
開店準備を終えて、看板を出して、目の前の御園小学校の体育の授業で走り回る子供達を見ていると、湘南での15年間が夢なのか、それともこの新しい店に立っている現在が夢なのか解らなくなる時がある。
石川県に帰ってきてからも怒涛の日々だったが、それでも計画を立てて着実に前進している毎日は、湘南での出口の見えないトンネルを無灯火で全力疾走している様な日々に比べたらとてもリラックスして物事に臨めていた様に思える。
僕は一人の力でこの店を出せたわけではない。
剛がいて、剛の縁で繋がった人達がいて、石川県での再開があり、出会いがあり、湘南からの暖かい心があり、京都からの期待があり、大きな流れが生まれて僕の背中をおしてくれた。
その流れに乗る形でこの『金澤流麺らーめん南』は生まれた。
だからこれからも『流れ』を大切にしていきたいし、『流れ』を意識して、次へと繋げていきたい。
そんな毎日の中に、僕にとって新しい『流れ』が産まれた。
それは『そらみち』との出会いだった。
そらみちは、金沢市窪にあるらーめん屋、つまり同業者だ。
僕は湘南時代、同業者との付き合いを一切絶ってきた。
周りの友人の中にはそんな僕を「スカしやがって。意固地な奴だ」と思っていた人もいた。
しかし、雇われ社長の様な立場の僕が、外の世界と繋がりを持つ事を極端に嫌ったオーナーとの関係が拗れるくらいなら、同業者との関係を持つ事は捨てざるを得ない状況だったのだ。
金澤流麺らーめん南が開店したとある日、そらみちのメンバー3人が僕の店にらーめんを食べに来てくれた。
その時にそらみちのオーナーの青山君から「どうも、そらみちです」と挨拶をしていただいた。
彼等はとても謙虚で、僕の経歴や経験を聞いて僕の事を『先輩』と扱ってくれた。
僕は実は何度とそらみちに通っていたのだ。
清湯系の少ない金沢市で、僕の何軒かある尊敬すべき店のひとつとして、何度も通って刺激をもらっていたのだった。
そんな彼等とこうして繋がる事ができて、それからというもの何度も語り合い、情報交換し合い、時に夢を語り合う仲になれた。
同業者とここまで胸を開いてお互い事をさらけ出して話せたのは、僕のらーめん屋稼業の中で初めての事だった。
まだこのブログには書けないが、そらみちの3人とはたくさんの約束をした。
その約束を実現させるためには、金澤流麺らーめん南もそらみちも今の現状を打破して自分の目標をクリアしていかなければならない。
でも僕たちなら必ず約束へと到達するだろう。
今は、金澤流麺らーめん南はまだ始まったばかりで、自分の口にする大き過ぎる目標と、現実とがかけ離れすぎていて周りはきっと失笑すると思う。
でも僕はそんなのは屁でもない。
僕はやると言ったら必ずやるし、自分の描いた物語は全て実現させる。
金澤流麺らーめん南とそらみちの約束が実現される頃、きっと何かワクワクする様な新しい『流れ』がまた生まれるだろう。
魂が震える様な。
その日までしっかり自分磨いて頑張るか!!
青山君、カンディ君、さーしちゃん。
いつもありがとう!
そしてこれからもどうぞよろしくお願いします!!
この記事へのコメントはありません。