
悲しい物語はもういらない~金澤流麺物語 第121回
今日は少し僕にとって辛いニュースから。
波紋呼ぶ3つ星シェフの自殺
2003年、僕は初めての店を開店させた。
阪神タイガースが18年ぶりの
セ・リーグ制覇を果たした忘れられない年だ。
その頃、こんなニュースについてモトイと
話していた事を覚えている。
「なぁ、モトイ。フランスの有名なシェフが
ミシュランで星を一つ落として自殺したって、ほんまなん?」
「・・・それ、めっちゃ有名な話やで。ほんまや」
僕はまだこの頃、
フランス料理にも興味がなかったし、
ガストロノミーという言葉も知らなかった。
ただ、フランス料理には『料理批評』という
文化が成熟していて、料理人も批評家も
命をかけて表現している事は理解していた。
僕は20代前半に文学や映画に熱中していたから、
時に批評自体が芸術そのものになりえる事を理解していた。
だからこそフランス料理という世界の深淵には
深い畏敬の念を抱いていたし、
たかだからーめん如きでグルメぶる風潮には
少し冷やかな態度を取っていた。
「らーめんはB級グルメなんだからそもそも役割が違う。
ギャーギャー騒ぐお前らは何者だ!?
らーめん屋は生活や人生を賭けて店を出している。
外野が騒ぐならお前らも命かけて発言しろ」
これは27歳当時の僕の偽らざる気持ちだった。
(今はそんな風には思ってませんが)
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そしてまた今回、一人のスターシェフが自殺をした。
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僕は本当に胸が痛い。
まだ44歳のブノワ・ヴィオリエ。
まだまだ作りたい料理も表現したい世界も
山ほどあったはずだ。
本当に悲しい。
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飲食業は本当に魅力があって
夢のある職業だと思っている。
ただただ、人を「美味しい」
「幸せ」「満たされた」・・・etc
そんな思いにさせたいという純粋な思いで
料理人は厨房に向かい、包丁を握る。
その「美味しい」の声が高まれば、
いつしかその料理人は尊敬を集める。
そして若いコックたちがその料理人に憧れ、
「いつか俺もシェフみたいになりたい!」
と胸に希望を抱いて修業に励む。
そんな若手の成長をお客様は
まるで物語を読むように楽しみ、
いつか若い料理人がシェフになった時、
祝いの言葉と花束を抱えて
そのシェフの料理に舌包みを打つ・・・。
本来なら飲食業はこんなにもシンプルで
感動的な職業の筈なのだ。
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次回に続く。
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