
金沢流麺に込めた想い~OnTheRoad 第114回
モトイが僕に鳴らしてくれた警笛とは?
「金沢の食材に拘り過ぎると、
美味しい物を作る事が目的なのか、
金沢の食材を使う事が目的なのか、
それが解らなくなる。
大さんが美味しい思うんやったら、
金沢だろうが他の県だろうが使うべき。
南大祐というフィルターを通した金沢を
表現するべき。
南大祐が作るらーめんが
『金沢らーめん』
にしたったらええやん」
・・・さすが、第一線で活躍する男は違うな・・・。
憎たらしいくらいええ男です。
・
この言葉で僕はハッとしました。
確かに金沢の食材に拘り過ぎていました。
そこで僕から見た金沢の魅力を洗い出す事にしました。
まずは金沢の事を僕がどう感じているのか?
きっと生まれ育ちが金沢ではない事が
僕なりの金沢への視点を
持てるのではないかと思えました。
・
まず僕が金沢に帰ってきて驚いたのは
この立派な鼓門です。
僕が以前に住んでいた15年前にはありませんでした。
これは本当に素晴らしいです。
金沢駅は本当に美しい。
この門は金沢を象徴している様に思えます。
伝統工芸の町でもある金沢。
脈々と受け継がれる伝統を、
こうした現代建築に落し込んで表現している。
まさに伝統と革新の融合です。
そして駅から街中へと進むと、
金沢城は綺麗に改装され
(15年前は修繕工事をしていました)
お堀の周りは綺麗な芝生になっていました。
香林坊から金沢城へ足を進めると、
四校記念館、しいのき迎賓館と続きますが、
この辺り一帯もとても綺麗に整備されていました。
確かしいのき迎賓館は、
以前は県庁でしたよね?
僕、若い頃にとんだ悪さをして
呼び出された思い出がありますもん。
あ、若い頃の話です!
それはさておき、
僕は僕が金沢にいなかった15年間で
金沢が大きく変化をしている事を
町並みから感じました。
それは
『金沢らしさ』
を大切にして打ち出している、
という点でした。
僕が19歳で金沢に引っ越してきた時は
『北陸の小京都』
なんて呼ばれていました。
でも京都は京都、
金沢は金沢の良さや個性がある
とずっと思っていましたし、
京都も金沢も知る僕には
京都と金沢は別物に思えました。
そこを明確に街ごと打ちだしているな、
と感じました。
新しい時代の流れを街から感じたのです。
以下、次回に続きます。
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